しくみ通信

皇紀2679年 西暦2019年 平成31年から数えて 第7の新月の日に

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「アンラーン」(unlearn)
人間は大いなるもののことを、カミサマ、イエスサマ、ブッダサマ、ホトケサマなどと呼ぶ。そして、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の経典を伝えようとする。それが「ニンゲンサマ」たちである。しかし、違う「ニンゲンサマ」もいる。

我が国の哲学者に鶴見俊輔さんという人がいた。
ハーバード大学に在学していた鶴見氏がニューヨークの図書館でアルバイトをしていたとき、ヘレン・ケラーと出会った。鶴見氏が日本からの留学生だと知ると、ヘレン・ケラーは「私は大学でたくさんのことを学んだが、その後、たくさん学びほぐさなければならなかった」という話をした。
〈学び直す〉ではなく〈学びほぐす〉という言葉が心に残った鶴見氏は、〈学びほぐす〉こととは型通りに編まれたセーターをほどいて元の毛糸に戻し、再び自分の身体に合うように編み直すようなものだと解釈した。
のちに鶴見氏は「アンラーン」(unlearn)を『学びほぐす』と訳した。

確かに「学び直す」ことに誤りはないが、果たしてその『学び』は正しいものなのか?誤りなのか?それとも思い込みなのか?思い込まされているのか?を知る必要がある。なぜなら、人は真実を見抜くことができないからだ。 
大概の人が無意識に学んだ固定観念(思い込み)で物事を観て、自分にとっての価値観が分からなくなっている。こうしたことから「数字(お金)そのものに価値がある」という完全なる思い違いが生まれてしまった。

そこで、ヘレン・ケラーが語った「アンラーン」(unlearn)が必要となる。
これまで学んできた知識や経験、目の前に起る現象や情報、価値観をすべてリセットし、自己の視点を白紙(ゼロ)に戻し、新たに『学びほぐす』ことで新しい世界観に目覚める。
「アンラーン」(unlearn)は〈創造的破壊〉ともいえるが、ここでの破壊は元に戻すことだ。
もともと『学ぶ』というのは他者の経験から生まれた思考と観点を知る事であり、それはさまざまな情報集積であるので、そのままで役に立つものではない。『学ぶ』とは『学(まね)ぶ』でもあり、参考にしながら自分に合った衣服に仕立て直すための糸結びに似ている。

詩人の茨木のりこさんが文中で、ロシアには「100年生きて、100年学んで、馬鹿のまま死ぬ」という諺があると紹介していた。
また、彼女の詩の中に「自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ」というのがある。(自分の感受性くらい)より
彼女は、ただ学ぶだけでは意味がない、自分をごまかすな、感受性を大事にしろといっている。己の人生に疑問を感じ、世の中に疑いを抱くときが、「アンラーン」(unlearn)するサインなのだ。

※アンラーン」(unlearn)という言葉を最近よく耳にする。
「アン」は否定を表す語で、「ラーン」は学ぶという意味である。「脱学習」と訳されることが多いが、学習をやめるという意味ではない。

「ニンゲンサマ」は仰せられた。
「われわれに似るように、われわれのかたちに神を造ろう…」  coucouの言葉より

 鶴田勝巳税理事務所 所長・鶴田勝巳の通信より