しくみ通信

皇紀2679年 西暦2019年 平成31年から数えて 第6の新月の日に

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ソクラテスの弁明

「生きるとは何か?」「人間はどのように生きれば善いのか?」

これは世界一有名な哲学者ソクラテスの言葉ですが、彼は書物を遺しておりませんでした。その理由は、話し言葉こそ「生きている言葉」で、文章にされた言葉は「死んだ言葉」だと考えていたからです。つまり対話が重要であるという信念を持っていたのです。

そんなソクラテスの考えをプラトンや弟子たちが書物にして、世界中に広がったのが「ソクラテスの弁明」です。

 

ソクラテスは紀元前469年頃に彫刻家の父と助産婦の母のもとに生まれ、青年期は安定していましたが、40歳から50歳まで3度重装歩兵として従軍。2度の結婚をし、貧しい生活のなかで、彼は多くの若者たちに「善く生きる」「善く死ぬ」ことを伝え続けました。

 

ソクラテスの「善く」とは〈自分を裏切らない〉〈自分に正直〉という意味です。

70歳になろうとするとき、彼は裁判にかけられ死刑となりました。「ギリシャ神を信じず、他の神霊もどきを信じ、若者を先導し堕落させている」という理由からでした。彼は毒杯を飲んでその生涯を終えるのです。

 

ソクラテスの最も有名な思想に「無知の知」があります。

それは「知らない事を知っていると思い込んでいる人よりは、知らないことを自覚している私の方が少しは賢い」というものです。

知らないと自覚する者は知ろうと努力する。しかし、知っていると思い込んでいる者には現状維持が多く、賢くない者たちである。

また、正しい知恵を持っていれば人は罪を犯さない、人間にとっての徳は「知恵」であると説き、それを「知徳合一」と呼びました。

さらに自噴の考えを人に伝えるための「問答法」では、相手の意見をよく聞き、その矛盾点を指摘する方法を用いました。

当時の若者たちは彼を支持したのですが、権力者らの反発を受けて公開裁判となり、堂々と自分の意見を述べたのちにソクラテスは死刑宣告を受けました。

この様子を伝えたのが「ソクラテスの弁明」です。

 

死刑を宣告されたソクラテスは法廷で、

「死を経験して語った者などいないのに、死を悪と決めつけるのは間違いだ。死も善きこと…」と語ったといいます。

また、ソクラテスは死ぬ前に弟子に謎の言葉を残しました。

「クリトン、我々はアスクレピオスに雄鶏1羽の借りがある。その借りを返しておいてくれ、忘れないように…」

 

アスクレピオスは人間に治癒をもたらす神のことで、そのアスクレピオスに雄鶏を1羽捧げるということは実際に治癒が果たされたことを示します。

このことで彼は何を言いたかったのでしょうか?

生きるという病を、死が解放してくれるという意味なのでしょうか?

ソクラテスにとっては死も善きこと(に任せする)の一つだったのかもしれません。

 

また、もう一つの解釈として、自分が死んでも解決にならないことを、忘れずに伝えてほしい…ということだったのかも知れません。

ソクラテスは死刑当日まで牢獄で弟子たちと語り続け、最期の刻まで生きる意味を問い続けました。

 

「生とは何か」、「人はどのように生きるべきか」というテーマに最初に向き合い、死ぬまでそれを追求し続けたソクラテス。「智を愛するもの」として、生命をかけて自分の信念を貫き通す生き様は、現代を生きる私たちに様々なことを教えてくれています。

ソクラテス裁判とその資料

「生きること」「社会を認識すること」「商売すること」「働くこと」「国や社会や政治、経済」「利益のある、なし」「株価」「AI」…過去、現在、未来に起ることすべてが善きこと。

 

 

鶴田勝巳税理事務所 所長・鶴田勝巳の通信より