しくみ通信

皇紀2678年 2018年 平成30年 第3の新月の日に

 

 

天命をまって 人事をつくす

 

「人事を尽くし、天命を待つ」という言葉がありますが、天命は自分の都合通りに訪れるものではありません。神社などで自分の欲を願うがごとく、万事が都合よく運ぶことはまずないと悟るべきでしょう。「待つ」というのはまさに他力本願であり、宝くじのようなものかもしれません。

 

では、「天命」とは何でしょう?「宿命」や「運命」とは何でしょう?

 

使命 - あるものに命を使わす目的と役割のことを指します。

寿命 - 使命を果たし命が尽きることを指します。

生命 - 生まれいずる命のことを指します。

宿命 - 最初からその命に宿っていたと考えられているもの、運命を指します。

運命 - 命が運んでくるもので、定まっていたものを指します。

天命 - が授けた命のことを指します。「五十にして天命を知る」(孔子論語』)。

余命 - 余った命のことを指します。

五術の命(めい) - 天命、運命、宿命などのように、生まれつき決められた定めを表す概念。五術には命・卜・相という五項目があり、なかでも命は命理ともいい、自分の天命や運命を知る方法という意味です。

 

いかがでしょう?それぞれの意味の違いがわかると思います。

「天命」は天が授けた命。「運命」は命が運んでくるもの。「宿命」は命に宿っているもの。私たちには、すでに〈天命〉が備わっていることがわかります。ですから、すでにある天命に対し、自分だけの都合で空()を見上げ続けていても天命が訪れるわけがありません。

 

天命は、日常の身の回りに起こるすべての出来事だと捉えると、わかりやすいかもしれません。

 

毎日変わらず、ベルトコンベアーを流れる商品管理の仕事をしていても、ご飯を炊く作業をくり返していても、まるで同じということはないのです。日々何かが違い、刻々と何かが変化しています。それは時間の流れともいえるでしょう。

誰もが気づいていないかもしれませんが、日々の生活や仕事の中にこそ、天命が無限に降り注いでいるとしたら、どうでしょう?

「天命」は待つものでなく、すでに訪れているものだと知り、あとはただ人事を尽くせば良いということを。

一日一日を一生懸命に味わい、感謝しながら過ごすこと以外に人事を尽くす方法はない、と言う考え方に近づくはずです。

 

中国に「百年河清を俟つ」〔左氏伝 襄公八年〕ということわざがあります。

「黄河の水が澄むのを待つように、いつまで待っても見込みのないこと」のたとえです。

 

「人事を尽くし、天命を俟つ」

 

すでにわが身()こそが天命。

「生命(いのち)」は、常に生き続ける我の中にあり、〈宿命〉として我が心に宿り、〈運命〉として運ばれている。そして、その〈運命〉は、過去や現在からでなく、未来から運ばれているのです。

 

天命は〈待つ〉のではなく、〈俟つ〉なのですね。

 

 

鶴田勝巳税理事務所 所長・鶴田勝巳の通信より