しくみ通信

第三の新月の日に

『ただ花は 見る人の心に 珍しきが花なり』

世阿弥(ぜあみ)は、室町時代に大和猿楽の演者として活躍しました。父の観阿弥とともに能楽の完成者として知られ、その思想を『風姿花伝(ふうしかでん)』に残しました。風姿花伝は能楽論、芸術論を越えた世界観として人々に読み継がれてきました。

冒頭の言葉は演者と観客の関係、役者と人気の関係、己と組織の関係を説いています。世の中のすべては「関係性」であり、変化し止まらないものとし、その中でどのように己の芸(仕事)を全うするか、ということを中心に伝えています。「能」を〈ビジネス〉、「観客」を〈マーケット〉、「人気」を〈評価〉として捉えると、世阿弥が芸道から紡ぎ出した思想は、競争社会を生きるビジネスパーソンへの提言と解すことができるでしょう。世阿弥は次のような言葉も残しています。

『初心忘るべからず』

多くの人が〈初めの志を忘れてはならない〉と解釈しているようですが、世阿弥の考えた意味は、「初心」は新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち、試練を乗り越えていく考えや姿勢です。つまり、「初心を忘れるな」とは、試練の時に、どうやってその試練を受け入れ乗り越えたのか、という経験を忘れるな、ということなのです。

世阿弥は、六〇歳代に書いた『花鏡』の中で『ぜひ初心忘るべからず』『時々の初心忘るべからず』『老後の初心忘るべからず』」という三つの「初心」についても語っています。老齢期には老齢期にあった芸を身につけることが「老の初心」である。老齢になっても、初めて遭遇し対応しなければならない試練がある。このように、「初心忘るべからず」とは、それまで経験したことがないことや自分の未熟さを常に受け入れ、その新しい事態に挑戦していく心構えと行動を説いているのです。その姿を忘れなければ、中年になっても、老年になっても、新しい試練に向かっていくことができる。失敗を身につけよ、ということでもあります。現代の社会でも、さまざまな人生のステージ(舞台)で、未体験のことへ踏み込んでいくことが求められています。世阿弥の言によれば、「老いる」こと自体もまた、未経験なこと。そして、そういう時こそが「初心」に立つ時。不安と恐れではなく、それは新たな人生へのチャレンジだ…と。

今月の通信は世阿弥の心を通して社会の動きを見つめてみました。安倍総理大臣、マイナンバー、トランプ大統領、ビットコイン然り、わたしたちに問う姿形なのでしょう。

平成二九年皇紀二六七七年(西暦二〇一七年)第三の新月の日に
「花は見る人の気持ちで花になる」つるた勝巳税理事務所通信より