YESを胸に

YESを胸に

 

私はすべてを否定して生きてきました。

ですから、言い尽くせないほどの苦しみを味わいました。

否定は、ものすごい劣等感から生まれます。

この劣等感から生まれる否定が、不幸の道しるべとなるのかもしれません。

 

だって、劣等感から物事を否定してしまうのだから。

そして、否定することで自分を納得させてしまうのです。

 

また、劣等感を持っていることに気づかない人も多いですね。

劣等は人より劣る、不足する、ダメ、能力がないという場合に使われる言葉です。

でも、その劣等感は何から生まれるのでしようか。

それは、人のせいにするのではありませんが、両親からいただいてしまうのです。

 

私の場合、幼い頃から大病を患っていたため、親から常に「気を付けなさい・・」「無理をしないように・・」「病気がひどくならないように・・」「元気な子とは違うのだから・・」「言うこと聞かないと、また入院するようだよ・・」「薬を飲まないと死んでしまうよ・・」と言われ続けました。

両親に悪意はなく、子を思い、愛するがあまり、心配する気持ちから出た言葉ですが、言われる子どもにとってそれは、悪魔の呪文のようにNO言葉(否定)に聴こえてきます。

「頑張って勉強しないと希望の大学に入れないよ・・」「もっと成績を上げなさい・・」「このままでは負けてしまう・・」という言葉なども同じです。

 

こうして他者と比較されることで劣等感を抱き、ありとあらゆるものを否定してしまうのです。1番が正しくて、10番、20番ではダメなんだと、競争意識を植え付けられることによって劣等感が生まれ、NO(否定)が育っていきます。

 

子どもから劣等感を取り去る方法もあります。

それは、親がYES言葉(祝福)を使えば良いのです。

「祝福」とは〈おめでとう〉という意味だけではありません。

 

〈はげます〉ことも祝福のひとつです。

〈良かったね〉〈頑張ったね〉〈すごいね〉〈偉いなあ〉〈尊敬しているよ〉〈良くなっているよ〉〈ありがとう〉、これらの言葉は劣等感、「NO言葉(否定)」を「YES言葉(良かったね)」に変える方法です。

 

すると、子どもはYES言葉(祝福)を自分にも向け始めます。

いつの日か、誰もが嫌でも自分と別れるときが訪れますね。

ですから、自分とのお別れのときに後悔のない別れが必要なんです。

〈良かったね、わたし〉

〈頑張ったね、わたし〉

〈すごいね、わたし〉

〈偉いなあ、わたし〉

〈尊敬しているよ、わたし〉

〈良くなっているよ、わたし〉

〈ありがとう、もうひとりのわたし〉

これがNО言葉(否定)から抜け出す方法のひとつです。

 

 

「YES(はい)」の言葉

 

「はい」という言葉は美しい。

子どもたちが授業中に手を上げて「はい」といいますね。

なんと清々しい素直なあたたかな言葉なのでしょうね。

 

私の父は90歳を越えても、人と接するときに「はい」といいます。私が何か話しかけたりすると、必ず「はい」「ありがとう」と答え、こちらが思わず恐縮してしまいます。

 

ですから私も人と接するときには、年下であろうが、どんな人であろうが、「はい」で接するようになりました。

すると、みなさんが一様に恐縮するのです。

 

また、私が話す相手が「はい」と答えると、誰であっても私は背筋の伸びる感じがします。どうですか、あなたは。

「はい」は「YES言葉(肯定)」の同意語ですね。

まさに「素直な心」「尊敬の心」「丁重な心」「好意をあらわす心」といえます。

 

先日、小さな子どもに「はい」と答えたら、嬉しそうな笑顔をくれました。

その子もきっと「はい」というでしょうね。

素晴らしいことですよ、「はい」は。

 

会社内では上司から仕事の指示を受けます。

「きみ、あれとあれをしておいてくれ・・」

「いやあ、忙しくて無理ですよ・・」「できません・・」

確かにそのような場合も多くあるでしょう。

でも、こう答えたらどうでしょうか。

「きみ、あれとあれをしておいてくれ・・」

「はい、少しお待ちください。今は忙しいので改めて・・」

「はい、今はどうしても無理なのです・・」

「はい、できないかもしれませんが・・」と、「YES言葉(はい)」と応えるだけで仕事も人生も好転し始めます。

 

このお話を私の取引先の社長さんにお話ししたら、翌日から社員すべてに「はい」と返事をするようになりました。すると、社員の人たちはみな社長に恐縮して、会社全体が「はい」と言うようになったといいます。

後日、「ありがとうございます。社員たちとの会話をすべて〈はい〉というように切り替えましたら、会社全体が明るくなり活気が出てきました、素敵な言葉の使い方を教えてくれて感謝します」

「はい、ありがとうございます」

「はい、こちらこそ、感謝で一杯です」

 

いかがでしょう。

「YES言葉(はい)」は相手を敬い、認める言葉なのです。

 

 

「YES(感謝)」の言葉

 

多くの人が「NO(否定)」して生きていますね。

否定していることに気づいていない人も多くいます。

なんでこんなにも多くの人たちが不幸なのでしょう。

 

NO言葉(否定)という見えない怪物(モンスター)たちは、こうして不幸を与え続けているようですね。恐れは心配を生み、嘘、妄想は自らが生み出す心の産物です。

私はその怪物から別れるのに60年近くの歳月が必要でした。

YES言葉は、その恐れを解き放つことができます。

 

YESの言葉の一番重要な部分は「YES(感謝)」です。

感謝などと言うと、宗教くさく感じるかもしれませんね。

でもね、感謝の意味をはき違えないでほしい。

人は何かをしてもらったり、何かをいただいたりすると感謝しますね。

それは当然のことでしょうが、私の言う「YES言葉(感謝)」は少し違います。

 

それは、〈嫌なことにもYES(感謝)〉するということです。

 

もちろん良かったことは感謝すべきことですが、嫌なこと、嫌いなこと、気に入らなかったことも含めて、一見マイナスのような出来事にもYES(感謝)するのです。

つまらない仕事であっても、まずい食べ物であっても、失敗であっても〈ありがとう〉と感謝するのです。

 

「NO(否定)」と思われがちな病気や怪我、様々な失敗、ついてない、運が悪いと思うもの、上手くいかなかったこと、友達との喧嘩、争い、損失、ミス、苦情、不平、不満、自分にとって不都合なことのすべてにYES(感謝)するのです。

 

すると、すべてが好転することがわかります。

友達から文句を言われて悔しい思いをしても、YES(感謝)してみます。

「文句をいってくれてありがとう。自分に足りなかった所を教えてくれてありがとう」

すると、文句を言われたという心の中の怒りや憎しみが消えていきます。

恨みがなくなり感謝するようになります。

どんな相手であっても、どんな敵であっても恩人だと思う、感謝できるように思う。不運なこと、苦しいこと、とても悲しいこと、どんなに貧しくともYESといえば、夢や希望が湧いてくるのです。

このように、一切の災いの中には幸せの芽が潜んでいます。

ですから、苦しければ苦しいほど、人生がYES言葉とともに素晴らしくなります。「相手の幸せを願う、あなたの怒りが救われますように・・」これだけで素晴らしい人生を迎えられるようになります。

 

何よりも、YES(感謝)することによって相手を赦すことができ、結果、自分を許せるようになります。「あなたを赦します」「あなたに感謝します」「あなたの言葉に御礼します」「私を許します」「自分も相手も責めません」

 

嬉しい。楽しい。ありがたい。素晴らしい。幸せ。こうしてYES言葉はわたしたちを受容してくれるのです。

YES言葉は良いことを探し、喜びを見つけてくれるのです。

 

「YES(感謝)」は思い込みという呪文を外す魔法の言葉です。

人は苦しんではいけないのですよ。

 

 

「YES(ありがとう)」の言葉

 

今日が人生の最後だったら・・。

今日が自分とのお別れの日だとしたら・・。

今日が大切な人とのお別れの時だとしたら・・。

 

私のいうYES言葉にもっとも影響を与えた実話がありますので「YES(ありがとう)」の心で、ここに紹介します。

 

 

私は、囚われの身となった・・。

所持品はすべて奪われ、身体中の毛を残らず剃られ、囚人のような衣服を着せられた。腕には番号の入墨を彫られ、もはや人間としての扱いはなく、番号のみでしか呼ばれなくなった・・。他の者も同じようにされ、人格を失い、何よりも生きる希望を失っていった。

 

今日の私は、一糸まとわぬ裸体にされ、水に濡れたまま晩秋に一晩中立たされた。

このままではみな死んでしまうかもしれない。

 

眠る時はわずか2メートル半の板の上に九人が横たわる。

上を向いて寝ることも、寝返りを打つことも、足を曲げることもできない。

しかし、こうした状況の中であっても私は眠るように努力をした。

 

目を閉じれば、その世界には静寂があり、わずかでも安らぎを感じることができたからだ。以前は、隣の者の鼾や、恐ろしい悲鳴、泣き声などで眠ることなど出来なかったが、今は目を瞑ることによって深い眠りに入れるようになった。

 

しかし、目覚めたあとは恐ろしい光景と悲しい惨劇が繰り広げられた。

私たちはみな、明日はその者たちと同じ運命を辿るという覚悟を持って生きていた。わずかな食事だったが、みな何も言わず食べていた。食べ物は水のようなスープと、こぶし大のパンがひとつ。私たちはみな栄養不足となっていた。食事の順番を待っていた私は、その列からほんのわずかにはみ出ていたということで殴打された。

それは私だけでない。私たちは罪を持たない囚人となっていた。

 

監視兵たちは人を殴るのが楽しいのか、ストレスを発散しているのか、多くの者たちを殴り続け、罵倒する。人間としては扱われない奴隷以下の待遇である。嘲笑され、足蹴にされ続けると、身体的な苦痛よりも人間としての心のダメージの方が大きくなる。

日々の生活は重労働の繰り返しで、仲間の死体の処理や穴掘りが主だった。鏡などないが、お互いの姿を見れば、筋肉は無くなり、哀れな身体となり、まるで互いが死人のように痩せこけていた。日々続く暴力は、仲間の精神状態までおかしくさせていく。監視人と呼ばれる者たちには人間としての良心のかけらもない、最も卑劣で残酷な者たちだった。

毎日続く強制労働の中で、他の者は早く死んで楽になりたいと願っていたが、私は最後の最後まで生きてみようと、気を失いそうな意識の中で思い続けていた。

 

私は内面に存在する愛する者のことだけを考えていた。

 

それは、妻との想い出だった。

妻は私より先に殺されていた。

父や母も殺されてしまった・・。

 

目を瞑ると、そこにはいつもの笑顔で優しい妻の姿がある。

その妻と対話を続けていた。そうしているうちに、やがてその妻がそばにいて、私を優しく見守っているような気配を感じるようになった。

寒中に凍った地面を何時間も掘り続けているうちに、その強い感情がさらに強くなっていった。

もう、妻との会話が何千回だろうか・・。

この時、私はある真理を感じた。

「人間は、愛する人の像に心を深く捧げ、自らを充たすことが出来た時、浄福となり、全く慰めのない世界をも乗り越えることが出来る」と。

 

ある日、過酷な労働の中で疲れ果て、土間に横たわっていた所、私の目の前に美しい日没の景色が目に入り、多くの仲間にこの一瞬を見てもらおうと声をかけた。

そこにはバイエルンの美しい夕暮れが広がっており、燃えるような雲が青銅色から真紅の色に変化していた。

この世のものとは思えぬ幻想的な光景だった。

誰もが感動し、「世界ってどうしてこんなに綺麗なのだろう・・」と皆からつぶやきが漏れた。

 

我々はすべて強制収容所での監視下にあり、奴隷以下の生活を強いられ、明日の命の保証もない者たちばかりである。このような状況化の中であっても美しさを感じることができた。しかし、過酷な強制労働に耐えきれず、自ら死を選んで行った者も多かった。

死ぬことは簡単だったのだ。監視兵に逆らい、有刺鉄線の張られた鉄条網に突進するだけで簡単に死ねるのだ。鉄条網には高圧電流が流れているし、機関銃で打たれれば即死できる。

 

私の宝物はすべて過去にある。

 

未来はわからないし、予測できない。

よく過去にこだわっても意味がない、過ぎ去った遠い昔ではないか、という者も多いが、私は大切な過去を想い出す。その想い出に私は語りかける。

 

こんな素晴らしい宝物はない。

幼き頃の父や母、優しかった父や母、兄弟や友人達、我が子たち、みなこの世から去ってしまったが、記憶の中では必ず笑顔で迎えてくれる。

 

だから、「それでも私は、人生にイエスという」。

ありがとう人生、素晴らしきかな人生と想う。

 

 

これはアウシュビッツ強制収容所の話を描いた「夜と霧」という本のお話しです。

作者の名はヴィクトール・フランクル。第二次世界大戦中の6年間に、約600万人のユダヤ人がアウシュビッツを初め、各地の収容所で虐殺されました。それはヨーロッパ全土にいたユダヤ人の72パーセントに相当するといわれ、この間、人類は4千万人の兵隊と4千万人以上の民間人の生命を失っています。

 

1946年に出版されたこの本を、私は高校生の時に読みましたが、最近は復刻版として、どこの書店にも置かれています。

作者のヴィクトール・フランクルは心理学者です。「夜と霧」というタイトルは、ヒトラーによって出された命令の名称で、その目的は、ユダヤ人を初めナチスに反対するあらゆる人間を夜間に逮捕し、密かに強制収容所に送り込むことでした。

 

一夜のうちに一家族が霧のように消え失せてしまうことからこの名がつきました。ゲシュタポにより逮捕された家族が、その後どこに連れて行かれ、どうなってしまったのか、ほとんどわからない。多くの場合、強制収容所に着くなりガス室で殺されるか、運よくそれを逃れても、強制労働を余儀なくされました。

 

タイトルの「夜と霧」は、ナチス強制収容所における想像を絶する地獄を象徴する言葉に置き換わっています。有名なアンネ・フランクやコルチャック先生なども同時期に生きた人です。

「夜と霧」で、作者のフランクルは「希望」を多くの人々に伝えてくれます。

想像すること。

創造すること。

考えること。

想うこと。

素晴らしい過去をふり返ること。

たとえ嫌な過去であったとしても、それは「あなたが生きた証ですよ」「人生の大切な宝物ですよ」と語りかけています。

未来だけに希望があるのではなく、過去にも沢山の希望があった。それを想い出してほしいというメッセージにも聞こえます。

 

今、希望がないという人が多い。

また、その希望をまだ見ぬ未来にだけ向けている人が多い。

もし、わたしたちの人生が、フランクルのように明日をも見えなかったとしたらどうなのでしようか?不安だらけの人生になってしまうのでしょうか?それともフランクルのように、人生の宝物を想い出して生きようとするのでしょうか?

フランクルは絶望の中で希望を見つけ、「どんな状況にも意味がある」といいます。

「それでも私は、人生にイエスという」

このイエスが、感謝するという意味にも聴こえてきます。

 

1945年にアメリカ軍によって解放されたフランクルは奇跡的に生命を救われ、戦後は「ロゴセラピー」(人が、自らに生きる意味を見出すことを助け、心の病を癒す心理療法)を提唱し、希望を失い苦悩する多くの人々を救いました。

彼は、次の言葉を遺しています。

 

そもそも、我々が人生の意味を問うてはなりません。

我々は人生に問われている立場であり、我々が答えを出さねばならないのです。

 

祝福しなさい、その運命を。

信じなさい、その意味を。

 

どのような状況になろうとも、人間にはひとつだけ自由が残されている。

それは、どう行動するかだ。

 

人間が本当に求めているのは安全などではない。

目標に向かって努力し、苦悶することなのだ。

 

わたしたちは、人生の闘いだけは決して破棄してはいけない。

 

幸せは目標ではないし、目標であってはならない。

そもそも目標であることもできません。

 

幸せとは結果にすぎないのです。

 

涙を恥じることはありません。

その涙は、苦しむ勇気を持っていることの証なのですから。

 

 

「YES(こころ)」言葉

 

YES言葉(奇跡が起こる魔法の言葉)があります。

ですから、決してNO言葉(否定)しないでください。

 

良いことも、嫌なことも、目の前に起こることすべてにYESで応えます。

たとえば、「あの人は嫌だ」と思えば、どんどんと嫌になります。

その嫌だと思う部分は、自分の中にもあります。

「どうしても許せない」と思うのは、他人が自分の思う通りに応えなかった、動かなかったという結果に対して許せなくなるのです。

他人を許せないということは、自分を許せないことと同じです。

どうしても自分を許せないために、他人が許せなくなるのです。

NO言葉(否定)は、他人も自分も許せないときに起こります。

ですから、次のYES(奇跡が起こる魔法の言葉)で応えることで、これから先の人生が変わります。

 

① 今が一番幸せだと考える。

② 素晴らしい一日が訪れると考える。良い一日だと思える。

③ 明日はさらに良くなると考える。

④ これで良いと考える。

⑤ 頑張ったね、と思える。

⑥ 生きていてくれて、ありがとうと思える。

⑦ だんだん良くなってきたと思える。

⑧ うれしい、楽しいと思える。

⑨ 笑ってみる。

⑩ 小さな幸せをたくさん見つける。幸せだな、と思える。

⑪ 「ハイ」という。

⑫ 相手も自分も誉める。

⑬ 不完全でいいと思い、不完全に感謝する。

⑭ 毎日の奇跡を感じる。

⑮ 嫌なこと、つらいこと、悲しいことにもYES。

⑯ YESを口癖にする。

⑰ 恐れない、心配しない、信じる、与える、祝福する。

⑱ 終わり良ければすべてよし。

⑲ 失敗などありえない、失敗などない。

⑳ 自分も他人も許す。

 

 

YES言葉から、雪崩のように奇跡が目の前に現れてきます。

 

 

「YES(八つの言葉)」

悲しみの人へ

苦しんでいる人へ

とてもつらい人へ

希望が見いだせない人へ

もう、この世から消えてしまいたい人へ

闇の中から抜け出せない人へ

 

「YES」は魔法の言葉です。

 

涙がとまらない人へ

大切な人を失った人へ

しあわせを求めている人へ

さびしくて仕方のない人へ

誰も愛してくれないと思う人へ

ひとりぼっちだと考えている人へ

 

「YES」は希望の言葉です。

 

どうしても、自分を否定する人へ

どうしても、信じることのできない人へ

友達ができない人へ

愛する人が見つからない人へ

誰もそばにいないと思っている人へ

 

「YES」それは人生を好転させる言葉です。

 

ありがとう。

そうだね。

ごめんなさい。

よかったね。

おめでとう。

はい。

愛しているよ。

しあわせだよ。

 

この八つの言葉が「YES」の魔法の言葉、希望の言葉です。

悲しみ、苦しみ、つらさ、哀しい涙、さびしさ、すべての否定をなくすための魔法の言葉です。言い合い、争いごと、ののしり合い、けんか、いじめ、戦争やすべての争いをなくすための希望の言葉です。苦しいとき、つらいとき、この八つの言葉を声に出してみてください。きっと涙が出てきます。その涙は悲しみの涙ではなく、喜びの涙です。

 

この八つの言葉が「YES」のはじまり。

この言葉を使うことで未来に希望が生まれ、世界中が平和になります。

 

 

©Social YES Research In

つるた勝巳税理士事務所

デジタルの中で、アナログにどう生きるか

©252515.com .All Rights Reserved.

ページトップに戻る