「悲しみよ こんにちは」

「悲しみよ こんにちは」

 

悲しみよ さようなら

悲しみよ こんにちは

あなたは天井の隙間に書き込まれています

あなたは愛する人の瞳の中に書き込まれています

しかし、あなたは悲惨さではありません

 

なぜならどんなに貧しい人でも

あなたの名前を口にする

微笑みながら言葉にするのですから

 

悲しみよ こんにちは

いとおしい身体の愛

力強い愛

愛は優しさから滲み出るもの

それは形なき魂のように

誘惑が襲う

 

希望を失った表情

深い悲しみの顔

 

それでも人は美しい顔をする

 

『直接の生命』 ポール・エリュアール作        創訳coucou

 

 

私がこの詩と出会ったのは高校生のときでした。

「悲しさに さようなら」という意味はわかるのですが、どうして「悲しみよ 

こんにちは」と言えるのだろうと思ったからです。

しかし、悲しみを嫌わずに「悲しみに こんにちは」とすれば、その悲しみは微笑みに変えることができる、たとえ、希望を失っても、人は美しい顔ができる、という意味だということを理解するのに数十年の歳月が過ぎました。

 

この詩を世の中に知らしめたのは、フランスの作家フランソワーズ・サガンの小説でした。「悲しみよ こんにちは」の作者は詩人のポール・エリュアールです。サガンの「悲しみよ こんにちは」は、彼女が18歳(1954年)のときに出版され、世界22か国で翻訳されベストセラーになりました。ポールの詩をタイトルにして世界中に広がったものでした。

当時の私は、女性が主人公なので男性向きではないと、ポールの詩以外には興味を持ちませんでしたが、サガンの人生には興味を持ちました。

それは、「悲しみよ、こんにちは」の印税は5億フランというとてつもない額になり、サガンは億万長者となったからでした。

 

さらに40冊以上の著書は、少なからずべストセラーとなる一方で、住むところにも困窮した晩年。それでサガンの生涯を知りたくなりました。そして、不思議なことですが、サガンの著作権は今もって、その残した負債とともにフランス国税庁の管理下にあるというのです。

また、2004年69歳でこの世を去ったサガンの墓石には、「フランソワーズ・サガン、安らかならず、ここに眠る」と書かれていることです。

この世を去っても〈安らかにならず〉というサガンの墓碑銘ですが、これは、生前から本人が考えていたものだといいます。

サガン自身が、死すとも、永遠に安らかにならず、と考えていたのでしょうか?

 

残念ながら、サガンに関する自伝的なものは存在していませんが、少しばかり足跡を追ってみました。

 

日本ではフランソワーズ・サガンの伝記がほとんど翻訳されていません。

『悲しみよ こんにちは』の早熟で聡明な作家、おしゃれで個性的な時代の寵児、「女子供向け」の恋愛小説作家というイメージが強いため、あまりにも凄まじいサガンの人生に、ただただ、驚くばかりでした。

 

22歳の時、時速180キロのアストン・マーチンDB24・マーク2・カブリオレで大事故を起こし、危うく死にかけています。頭骸骨、胸郭、骨盤、手首、鎖骨を骨折する大怪我でした。

サガンは、スピードの陶酔感をこう表現しています。

「それが賭けや偶然に通じるように、スピードは生きる幸福(よろこび)に通じる。そしてそれゆえ、この生きる幸福(よろこび)の中に、つねに漂っている死への漠とした希望にも通じるのである。これが、結局のところ、私が真実と思うすべてだ」

『私自身のための優しい回想』1984年)

 

サガンはギャンブルにものめり込みました。

フランス中のカジノから締め出しをくった後も、ロンドンにまで遠征してバカラやルーレットのテーブルを陣取っていました。

二度の結婚と離婚、そして一度の出産。一度目の結婚は20歳年上の編集者、二度目は陶芸家を自称するアメリカ人。コンサバで責任感のあるサガンらしく、二度目は妊娠がその理由でした。

 

そして、大量のアルコールの摂取。クールとウイスキーとナイトクラビングは、サガンのトレードマークでした。40歳で膵臓炎を引き起こし、以来アルコールは禁止されました。

 

次は薬物中毒。サガンは『悲しみよ こんにちは』のころからアンフェタミン製剤(いわゆる覚せい剤)を服用していました。

ちなみに、フランスではサルトルが愛用していて有名だったコリドランなどのアンフェタミン製剤は1971年までは合法でした。

サガンは1957年に起こした車の事故以来、モルヒネ依存症にも陥っていました。

 

アンフェタミンが販売禁止になると、コカインを常用するようになり、薬物中毒による入退院を繰り返す日々を送り、1985年にはミッテラン大統領と同行したコロンビアのホテル、オーバードーズで卒倒。政府専用機でフランス陸軍病院に運ばれ、一命を取り留めました。

1995年にはコカインの使用・所持で有罪判決を受けました。

晩年はコカイン入手のための金策に四苦八苦していたのです。

 

サガンの稼ぐ印税に寄ってくる有象無象の人々。気前が良くて金銭に無頓着なサガン。

こうしてサガンの莫大な印税はすべて消え去りました。

最後は、欺まがいの事件に巻き込まれ、400万フランの脱税容疑で起訴され、資産をすべて差押えられています。

この他にも、バイセクシュアル、整形手術、錯乱した行動、うつや精神疾患による入退院の繰り返しなど、サガンの過剰な生に関する話題は事欠きません。

サガンは何を求めて、何を探し続けていたのでしょうか…。

この異常とも思える過剰さは一体なんなのでしょうか、何がそうさせてしまったのでしょうか?

 

サガンの一連の行動からは、何かから必死で逃れようと、自らが進んで破滅をおびきよせてしまう破滅願望のようなものが感じられます。

 

そういえば、『悲しみよ こんにちは』の主人公にも、結末をどこかで予感しながら、知らず知らずのうちに破局を呼び寄せるような、そんな雰囲気が漂っていました。

 

印税5億フランと言えば、当時でも350億円という金額です。わずか18歳で手にしたことで、サガンの運命は狂わされたのかもしれません。

多くの人々がサガンのお金に忍び寄ります。湯水のように使い続けても、そう簡単に減るお金ではありませんが、そのお金にサガンの考えるやすらぎはありませんでした。

 

『悲しみよ こんにちは』の小説にこんな一文があります。

「アンヌが姿勢を正した。その顔がゆがんでいた。泣いていたのだ。不意にわたしは理解した。わたしは、観念的な存在などではなく、感受性の強い生身の人間を侵してしまったのだ、と。この人にも小さなこども時代があったのだ。きっと少し内気だっただろう。それから少女になり、女になった。40になり、まだひとりで生きてきたところで、ある男を愛した。その人と、あと10年、もしかしたら20年、幸せでいたいと願った。それをわたしは・・・・・・・この顔は、わたしが作りあげてしまったものなのだ。私は動くこともできなくなり、ドアに体を押しつけたまま、全身で震えていた」

 

『直接の生命』ポール・エリュアールの『悲しみよ こんにちは』通りの物語と、自分の人生を合わせて生きるかのように、サガンは〈やすらぎ〉を探し続けます。

 

サガンは、悲しみにさようならも、こんにちはもできず、悲しみとともに生きたのです。名声やお金、本当のものとの出会いを探すための破壊だったのかもしれません。

 

サガンは先の回想録のなかで、愛読書の一冊、プルーストの『失われた時を求めて』を挙げてこう記しています。

「私は限界、底、がないということ、真実、むろん人間的真実という意味だが、真実はいたるところに在る、いたるところに差し出されており、真実こそ唯一の望ましいものであると同時に、唯一の到達不可能なものである、ということを発見した」

 

時の過酷さを独り予感してしまった、明晰なサガンの意識そのものを表しているような言葉ではないでしょうか…。

 

何もないしあわせ、

何もいらないしあわせ、

何も求めないしあわせ、というものもあるような気がします。

人間は、何かを求め続け、探し続け、何かを追い続けて生きています。

 

しあわせとは、もともとあるもの、

何かにしあわせがあるのではなく、

日々の時の中に無限にあることだということを気づく人は少ないものです。

 

 

悲しみよ さようなら

 

悲しみよ こんにちは

あなたは天井の隙間に書き込まれています

あなたは愛する人の瞳の中に書き込まれています

しかし、あなたは悲惨さではありません

 

この本当の意味を、ポールは悲惨さではないと語っています。

希望を失った表情、深い悲しみの顔、それでも人は美しい顔をする、と語っているのです。

 

サガンには、そう感じることができなかったのかもしれません。

 

サガンは、「孤独」というテーマに向き合い続けた作家にも見えます。

インタビュー集『愛と同じくらい孤独』『愛という名の孤独』には、孤独や愛にまつわる、人生を達観したかのような冷めた名言がいくつも語られていました。

サガンの墓石の「フランソワーズ・サガン、安らかならず、ここに眠る」と言う言葉は、自らが希望して書かれたものですが、ポールはいいます、

「それでも人は美しい顔をする」と。

 

 

サガンの言葉より(付録)

わたしは商品、品物になってしまいました。サガンという現象、サガンという寓話的伝説……わたしは自分を恥ずかしく思いました。レストランではうつむいて歩いていましたし、人がわたしだとわかると、わたしは恐ろしくてね。普通の人間だと認めてもらいたいわけです、普通に話をしてもらいたいわけです

 

非常ななまけ者になるのはとてもむずかしいです。何もしないでいられるためには想像力が必要ですし、また何もしなかったことに罪悪感を持たないほど自分に自信がなくてはなりませんし、それに人生がひどく好きでないと駄目だからです。

 

 

愛することはただ《大好き》ということだけではありません、特に理解することです。理解するというのは見逃すこと……余計な口出しをしないことです。

 

(理想について)さまざまな状況によって必然的に理想が生れるのだと思います。何かに《対して》反抗し、それが理想になるのです。

 

自信をなくすことのない人間っているかしら。わたしは自信を持つときがありません。だからこそ物を書いているのです。自信のないことがわたしの健康であるわけです。

 

試練が人を養うという考えは、まったくの嘘。幸せな時のほうが学ぶことがずっと多いのです。幸せな時はもっとオープンな気持ちになり、そして何よりも、高潔な心を持つようになります。高潔な心を持つこと、まさにこれが人間社会の、あるいは人類全体の目標とするところではないでしょうか。

 

 

©Social YES Research Institute / CouCou

つるた勝巳税理士事務所

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