2018.07.29
ある晴れた日曜日
ある晴れた日曜日
ある晴れた日曜日、私はいつものように一週間の仕事のまとめと、翌一週間の予定をまとめていました。すると、事務所の扉をノックする音が聞こえました。
突然の訪問者です。
扉を開けてみると六人の訪問客で、突然私に聖書を見せて読み始めました。
私は扉を半開きのままで聞いていましたが、なかなか話は終わりません。
この人たちは何を言いたいのでしょう…。
ようやく長い話が終わり、私に意見を求めてきました。
「あなたは神を信じますか?」という質問でした。
私はイライラしていたせいか、即座に、
「神など信じていません、信じません」と答えました。
すると彼らは哀しそうな顔をして、
「それは不幸なことです…」と言い出すのです。
「何が不幸なのですか?」と、私は言い返しました。
「それは、あなたが神様を信じていないからですよ。神はあなたの目の前にいらっしゃる、あなたを守り続けているのです」と、相手は言います。
私は再度言い返しました。
「そんなこと当たり前ではないですか?」。
すると、驚いた顔をして、何を勘違いしたのか、私に「ぜひ、読んでほしい…」と聖書に関する小冊子を手渡そうとしました。
「要りません…」と、私が答えたら、
「置いておくだけで構いませんから、置かせてもらえませんか…」と言います。
さらに話は長く続き、私は困り果てました。
その理由は、この人たちは聖書の伝道者で、上からの指示(命令)で布教しているだけだからです。この人たちには罪はないし、無下にもできない…、彼らは神を信じきっている人たちですし、何を言っても無駄だと思いました。
話を聞けば聞くほど、彼らの言う神様が嫌いになります…。
私が嫌がっている顔などお構いなしに話しは続きます。
これは、彼らの布教活動という修行なのでしょう。
そこへ、私が事務所をお借りしている大家さんの奥様が来て、
突然、「お帰り下さい!」と大きな声で叫びました。
彼らは困惑しているようでしたが、矛先はその奥様になりました。
この奥様は、数年前に腰の骨を折ってしまい、歩行するのも困難な状態で、長男に支えられていました。
彼らは、その言葉にも怯まず聖書を勧めようとします。
「奥様、奥様の御病気は、この聖書お読みになるときっと良くなりますよ…。病というものはその人の心が生み出すもので、身体か悪ければ家庭もうまく行きませんし、仕事もうまくいかないものです…」
「……」
一瞬、静寂に覆われたように静かになりました。
奥さんは何かを考えているかのように押し黙ったまま、彼らの話を聞いて言いましたが、急に笑顔になって彼らにこう答えました。
「私は神を信じています。私はあなたたちの思う神様ではなく、私を守って下さっている神様を信じています。私の体の病は神が与えてくれたものです。はっきり言って、夫婦、家庭内はあなたたちが言うようにうまく行っていません。家族はバラバラかもしれません。しかし、これらのすべては私の思うところの、私をお守りくださっている神様から与えられた恵みです。私は、この与えられた恵みに心から感謝しているのです。こんなにも恵まれています。ですから、あなたたちの思う神様は必要ないのですよ…」
「……」
あまりにもストレートな考え方だったからなのでしょうか、彼らは無言となりました。
そして、軽く会釈して、何も答えず、そのまま去って行きました。
彼らの姿を見ながら、彼女は私にこう言いました。
「富樫さん、夫婦、家族関係がうまく行かない人、病気のない人、苦しんでいる人、お金のない人は、神様が与えてくれた最高の恵み(贈り物)ですよ。夫婦円満な人、病のない人、身体の痛みを感じない人には幸せがわからないのよ。神から与えられた恵みには感謝しなくちゃね…」
そう言って、笑顔で自宅に戻っていきました。
澄み渡る青空に、春を感じる三月終わりの出来事でした。
©Social YES Research Institute / CouCou