2017年,第8の新月の日に の 感想をいただきました

2017年,第8の新月の日にの感想
表紙の絵とヨハネの福音書第19章は、ナザレのイエスの受難を伝えて有名です。総督ピラトは過越祭りの慣例に従いナザレのイエスを釈放しょうとしましたが、民衆の圧力に負け、強盗殺人犯バラバ・イエスを釈放することで、執行官としての体裁をつくろいます。当時のエルサレムにおいては、イエスと云う名前はごく一般的であったと言われておりますので、ナザレのイエスでなくても、イエスを釈放したという大義名分で、総督ピラトは、乗り切ったという事でしょう。
ヨハネの福音書第19章のシーンを、メル・ギブソンが監督し、映画「パッション」を作り上げています。
この映画「パッション」のイエスの受難シーンが余りにも凄惨で、リアルな映像であったため、当時配給会社が決まらず、そのままお蔵入りではとの噂もたった中、バチカンでの試写会を見た、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が、この場面は、新約聖書で伝えられている通りだとコメントしたと言うことで、「パッション」は、全米で大ヒットしたと言われています。
日本国内でもその流れで話題に成りましたが、イエスの受難がピント来ない日本人にはいまいち受けが悪かったと聞いています。
いずれにせよ、人間が熱狂に踊らされやすいのは確かです。日頃の不平不満を何かにぶつける、集団化した人間の恐ろしい一面ですね。
スポーツや芸能界などでフアンが殺到し、同じ商品を衝動買いする、デパートなどで、特に必要も無いのに周りの雰囲気と勢いで買ってしまうなど、人は熱狂するとそのような行動をとってしまいます。
しかし、熱狂に踊らされやすいのは、一時的なもので、冷めるのも早いわけですから、商売的にはP2の下段の文言の通りでしょう。
さて話はガラッと変わり、ITとAIの話ですね。
社会と云うものは、社会の中で伝達される情報と、その情報の伝達手段の研究を通じてはじめて理解できる。その情報と伝達手段が将来発達していけば、人から機械へ、機械から人へ、そして機械から機械との間で伝えられる情報がこれまでにはなかったような重要な役割を果たすだろう。(ルークド・メール著シンキング・マシーンより)
このように、今後、情報通信手段の部門でAIは人間に代わり、めざましい成果を上げ続ける事でしょうし、単純な労働(組み立て、仕分けなど)で人間にとって代り始めています。今後、多くの職場で、仕事をロボットに奪われてしまうとの危惧を人々は持ち始めているのは当然です。
その上、AIは自分で考え,自己進化をし始めるのではとの危惧を持つ学者も出始めているようです。
思考するマシーンの開発には、私たちがまだ気づいていないだけで、危険が伴うと懸念を表明しているのはイーロン・マスクだけではない。有名な物理学者ステイーヴン・ホーキングも「そうゆうテクノロジーが金融市場を支配し、人間の研究者の能力を超えて発明する能力を持ち、人間の指導者たちを巧みに操り、私たちの理解の及ばぬ武器を開発することも想像できる短期的な影響は、AIを支配する者に掛かっていて、長期的な影響はAIをコントロール出来るかに掛かっている」と2014年5月、警鐘を鳴らす記事を発表した。(ルークド・メール著シンキング・マシーンより)
思い起こせば、50年ほど前に公開された、映画「2001年宇宙の旅」(原作アーサー・クラーク、監督スタンリー・キューブリック)の中で、宇宙船デスカバリー号に搭載されていた、AI「ハル9000」の無機質な赤い目が鋭く光るシーンと機械的な言葉が強烈でした。
その後、監督リドリースコット1982年公開の映画「ブレードランナー」この映画では、遺伝子工学で誕生した人造人間「レプリカント」が登場し、従来のAIのイメージを塗り替えました。
その後、映画「ターミネーター」が公開され、将来のAIロボットに対する不気味さと不安感を人々に与えたようにも思います。
「2001年宇宙の旅」の原作者アーサー・クラーク・監督スタンリー・キューブリックは、知性を持ったAIと人間は、いずれは闘う宿命を負わされている?と。判っていたという事でしょうね。
一方で、ステーブン・スピルバーグ監督の「ALデビド」や、アレックス・ブロヤス監督の「アイ・ロボット」などの作品は、AI(アンドロイド)にも人間と同じような感情と、愛する心などが在るのだというテーマで描かれており、人間との共存を謳った作品に成っていました。
このように、映画の世界では、AIの将来像を見据えた人型ロボット(レプリカント・ヒューマノイド・アンドロイド・サイボーグなど、呼び方は色々です)が生み出され、それぞれに良し悪しの知能も感情もそなえた人造人間を生み出しています。
想うに、旧約聖書の創世記の文言を借りれば“神は自分の形に人を創造した”(創世記1章26節)と同じように、人間も、AIを人間に似せて作り上げるという事になるのでしょうか?。
そう考えると、神の形に創造された人間が、現在の様に、貧富の格差社会や民族や宗教の対立から生み出される、人間不信の土壌を根幹とした思いから創造されるAIの未来は、上述した映画「ブレイドランナーやターミネーター」が描く様な、映像に酷似したものとなる可能性は高いという事なのでしょうか?。
しかし、それでなくとも無表情で、挨拶一つ出来ないロボット的な人間が多く成っている様に感じるこの頃、ますます、人間の情緒や感情の豊かさが強く求められているのではないでしょうか。
さてさて、自由と無頼(フーテンの寅さんのイメージ)の話。
無頼と云う言葉は、近年なかなか聞かない言葉ですから興味津々、私はすぐに黒沢明監督の「七人の侍」が頭に浮かびました。
指導者の勘兵衛を始め6人の面々、野武士との激闘が終わり七人の内4人が戦死し、農民側が勝利し、喜ぶ姿を見て勘兵衛はボソッとつぶやく「勝ったのは我々ではない。農民たちだ」のセリフは、日本的な自由人なのかと思ったりします。その中でも異彩を放つのが三船敏郎演じる,菊千代、最も寅さん的ですね。
ところで、アメリカ企業が日本でうまく経営できずに撤退する話は。最近は聞かなくなりました。昨今の日本の労働環境も、グローバル化の波と共に、アメリカ的効率経営の上に、個人主義と利己主義的な思考形態の広がりから、従来の日本的な平等主義的な職場環境がどんどん崩され、経営者側の力がますます強くなっていることにも、アメリカ企業が日本でうまく経営できずに撤退する話が少なくなっている要因の一つでしょう。
話は変わり、P5の、世界の報道の自由度ランキングに関する記事、なるほどな~と思い、自由とは?コミニュケーションとは・・・を思つつ、P4~6の枡の中文書を読み、面白かったです。
ほんとの自由てあるんでしょうか?
昔、学校(中高一貫校)の事務局長で赴任していた時に、生徒たちの自由論争を思い出しました。・・・P8の決めること!の文書を目にしながら、そうだよ!そうだよ!と自分にうなずきました。

つるた勝巳税理士事務所

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