屋根裏部屋

屋根裏部屋


「わたしは屋根裏へ行って、床のお気に入りの場所から、青い空を、枝にくっきりついた小さな雨粒が銀色に輝いている葉の落ちたクリの木を見上げる。カモメやそのほかの鳥たちが風に乗って滑降するのが見える。これがある限り、わたしは生きてそれを見ることができる。この日光と雲ひとつない青空が続く限り、わたしは不幸になれない…これがある限り、そしてそれはいつまでも続くだろう。すべての雀たちに慰めのあることをわたしは知っている」
1944年2月23日のアンネの日記より

子どもの頃、病院の窓から外を眺めていると、不思議な光景を目にしました。空はとても青く、流れる雲はゆっくりと、時間を忘れさせる一枚の絵画のよう。窓ガラスから入り込む太陽の光が、こんなにも暖かいものだということを感じさせてくれて、真下からのぞく雨粒は丸い水のかたまり、風は木の葉を動かし、まるで手をふっているかのようでした。
ああ…これが慰め。これが生きている実感。生きている幸せ…。
病の私は、身体を動かしてはならない、歩いてはならない、安静にしていなければならない、という医師の命令のままに日々を過ごしていました。

病院から脱出した頃に、「アンネの日記」と出合いました。
アンネは健康で明るい元気な少女でしたが、ドイツ軍の迫害から逃れるために屋根裏部屋で過ごします。病気で動けない私、病気ではないのに動けないアンネ。違いはあっても、アンネと同じように、窓から眺める風景は、私にとっても希望でした。
もうひとつの希望もアンネと同じく、空想することでした。思うことは自由、考えることも自由。空想すれば、はるか彼方の天空までも支配することができたのです。

「この日光、この雲のない青空があり、生きてこれをながめることのできる限り、わたしは不幸ではない」。
アンネの言葉は、私の人生を支えてくれました。

大人になった私は、こんな言葉とも出合いました。

「時を越えた美しさの秘密」

魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。
豊かな髪であるためには、一日に一度、子供の指で梳いてもらいなさい。
美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。
物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、
失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば修正し、
何度でも再出発することができます。
誰をも決して見捨ててはいけません。
人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に、
助けてくれる手がさしのべられていることを忘れないでください。
年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。
ひとつの手は、自分自身を助けるため、
もうひとつの手は、他者を助けるために。

サム・レヴェンソンの詩集より(サムが孫娘に送った詩より)


女優オードリー・ヘップバーンは、1993年に亡くなりました。
末期ガンだったヘップバーンは、医師が勧める化学療法を断り、生涯を通して愛したスイスの家で、家族とともに最後のクリスマスを送ることを希望しました。
クリスマス・イブの日、二人の息子に読み聞かせたのが、サム・レヴェンソンの詩集「時の試練をへた人生の知恵」の中のこの詩でした。

「大きくなったとき、
きっと自分にもふたつの手があることを発見するだろう。
ひとつの手は自分を支えるため。
もうひとつの手は誰かを助けるため。
おまえの『すばらしき日々』は、これからはじまる。
どうか、たくさんのすばらしき日々がおとずれるように」と。

近年になって、私は「繭の言葉」と出合います。

あなたの右手に清貧を
左手に慈愛を
足元に静謐を
頭上に感謝を
中心に聖火を

この言葉は、作者が自分のもとを旅立っていく愛娘に贈ったものだそうですが、ヘップバーンが愛する人に伝えたかった一片の詩と重なり、どうしてこうした想いを伝えようとしたのかと、ずいぶん長いこと私は不思議に感じていました。

その不思議さの秘密は、アンネ・フランクにあったようです。

1947年にオランダで出版された「アンネの日記」を読み終えたヘップバーンは、「涙が洪水のように流れ、わたしは半狂乱だった…」と語りました。

「私たちは二人でそこから青空と、葉の落ちた裏庭のマロニエの木とを見上げました。枝という枝には、細かな雨のしずくがきらめき、空を飛ぶカモメやそのほかの鳥の群れは、日ざしを受けて銀色に輝いています。すべてが生き生きと躍動して、…私たちの心を揺さぶり、あまりの感動に、…二人ともしばらく口もきけませんでした。」
「アンネの日記」より

この日記は、アンネが死の収容所に送られる六か月前に記されたものです。
しかしなぜ、「アンネの日記」を読み終えたヘップバーンは半狂乱になってしまったのでしょう…。

実は、ヘップバーンはアンネと同じ1929年生まれです。ヘップバーンは5月4日にベルギーのブリュッセルで生まれ、アンネは6月12日にドイツのフランクフルト、アムマインで生まれました。二人の誕生日はひと月ほどの違いです。(ヘップバーンの父親はドイツの敵国イギリス人)。

二人は同じ時期、オランダ、アムステルダムに住んでいました。
ヘップバーン一家はレジスタンス(自由と解放を求める政治的抵抗運動)に参加していたこともあって、地下室生活を送っていた時期がありました。(親戚はナチスによって殺されています)。戦後の生活では、チューリップの球根を食べるほど困窮して、ユニセフの援助を受けた事もあり、後にヘップバーンがユニセフ親善大使を引き受けたのも、こうした経緯からだといわれています。

ヘップバーンの母親はオランダ貴族の出身で、休暇はいつもオランダで過ごしていました。一方、アンネの一家はドイツ軍の迫害から逃れるため、1933年にオランダへの移住を決意します。そして1939年、二人が10歳の時に、第二次世界大戦が勃発。男爵の称号を持つヘップバーンの母親は、彼女を連れて中立国であるオランダ、アルンヘムに戻っていきます。

1942年、二人が13歳のとき、ヘップバーンの祖父の領地と財産がナチスに没収され、ヘップバーンの二人の兄はレジスタンスに参加。このとき母とアルンヘムの駅で、ドイツ兵たちがユダヤ人たちを男女に分けて、家畜を運ぶ貨車に乗せているところを目撃しました。この時、アンネはまだ隠れ家で日記を綴っています。

ヘップバーンは、レジスタンスを支援する母エラの影響で地下活動に加わり、連絡係やバレエで資金集めをしていましたが、その日々は栄養失調でバレエができなくなるまで続きました。

1944年。14歳のヘップバーンは、戦場となったアルンヘムの街を歩いているとき、いきなりトラックに乗せられ、ドイツ軍司令部へ連行されそうになりますが、やっとの思いで地下に逃げ込み、持っていたチューリップの球根やチーズを食べながら、一ヶ月を耐えしのび、黄疸になりながらも母親のもとへと帰ります。

一方アンネは、この年の8月に隠れ家の住人全員とともに、アムステルダム警察署へ連行され、9月には家畜運搬列車でアウシュビッツへと移送されます。10月、アンネと姉マルゴットはドイツのベルゲン=ベルゼン強制収容所に送られました。
半年ほど前の2月23日の日記に、「この日光、この雲のない青空があり、生きてこれをながめることのできる限り、わたしは不幸ではない」と記したアンネは、1945年に収容所で亡くなりました。

1945年、5月4日。ヘップバーンの誕生日にオランダは開放されます。
ヘップバーンはユニセフの前身である国連救済復興機関からの救援物資のチョコレートを口にしながら泣いていました。その時の思い出が、後に彼女をユニセフの活動に向かわせることになります。

戦後になって、ヘップバーンはアンネの日記の存在を知りましたが、あまりのショックに心を痛め、アンネは私自身・・・自分そのものだと感じていました。
 後にユニセフ親善大使になったのも、『私はこの仕事をするために、これまで女優をしていたのかもしれない』と語っています。

 1957年、ヘップバーン28歳の時、映画『アンネの日記』の出演依頼が来ますが、あまりにつらすぎてアンネ役を演じられず、「私はアンネと似過ぎている」と、辞退しています。アンネ役は演じられなかったヘップバーンでしたが、ユニセフ親善大使になってからは、『アンネの日記』の朗読を引き受けるようになりました。
1990年、ヘップバーン61歳の時、多くの子どもたちを慰めようと、チャリティコンサートで『アンネの日記』を朗読しました。そして得た収益金を、ユニセフを通じて恵まれない子供たちに寄付しました。

病で動けなかった私。自由を奪われ、病気でないのに動けなかったアンネ。
そして、アンネの意志を継いで、アンネの分まで自分らしく生き抜いたヘップバーン。


あなたの右手に清貧を
左手に慈愛を
足元に静謐を
頭上に感謝を
中心に聖火を

右手にオードリー・ヘップバーン。
左手にはアンネ・フランク。
そのふたつの手が、祈りの聖火をいまも包んでいるようです。

暗い屋根裏部屋での生活。そしてアウシュビッツ強制収容所。
過酷な日々の中にも必ず希望はあるのだと、自書「夜と霧」で謳ったフランクル。
戦火の下で子供たちを守りながら、懸命に生きたコルチャック先生。
一人一人の人生には、自己と他を分かつことのない、「いのち」への感謝が込められています。

わたしたちは誰もが、「ふたつの手」を与えられ、そして支え合い生きているのですね。


©Social YES Research Institute / CouCou

つるた勝巳税理士事務所

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