人生に失うものは何もない

『人生は獲得のみであって失うものは何もない』
ジャーナリスト千葉淳子さんのお母さんの言葉です。

淳子さんは壮絶なガンとの闘いの末、亡くなりました。
闘病中に綴った「いのち」の記録は一冊の本になり、ベストセラーとなりました。

ある時、大切な娘を失った母、富貴子さんが、私にこんな手紙を見せてくれました。

「淳子、二十六才まで生きてくれてありがとう……。
淳子、二十六才まで育てさせてくれてありがとう……。
そして淳子、あなたを生ませていただけたことに感謝します。
わたしにあらゆることを教えてくれて、幸せをたくさんくれた淳子…。
もう一度生まれるときが来たなら、もう一度わたしの娘になってください。
もう一度、あなたの母になることを、わたしは望みます。
そして今度は、わたしの最期を見とどけてください。
今は、あなたの分まで明るく元気に、一年でも二年でも生き続けます。」

母娘は、日本─ニューヨークと離れ、何百通という手紙を交わし続けました。

「お母さんありがとう。わたしのお母さんでいてくれてありがとう。
何もできなかったけれど、二十六才まで生きました。
二十六年、生きられたことに感謝します。
ほんとうに生まれて良かった。
ほんとうに今まで生きられて良かった。
お母さん、この先の人生を一年でも二年でも長く生きてください。
わたしの分まであなたに生きてもらうことが、わたしの望みです。
もう一度生まれるときがあるならば、もう一度わたしの母になってください。
あなたの娘でありたい、それがわたしの願いです。
お母さん、ありがとう。母でいてくれてありがとう・・・・・。」

富貴子さんは手紙に綴られた想いを慈しむように、そして幸せそうに語ってくれました。

人はモノを失くすと、失くしたモノばかりに目を向けてしまいます。また、無いものばかりを追い求めてしまいます。
しかし富貴子さんは、我が娘を失うという不幸にではなく、娘がいてくれたことをみつめました。二十六年間の娘のすべてに感謝する九十歳近い母、富貴子さん。その想い出と共に、これからも幸せに生き続けると宣言されました。その真に強い姿が印象的でした。

富貴子さんは、「人生は獲得のみであって、失うものは何もない」と言い、これからの新しい人生を、もう一度淳子さんと生きる決心をしました。つまり、娘の成し得なかった先の二十七年、二十八年を娘と共に生き、娘の記録を世に伝える役目を果たそうと考えたのです。

わたしたちはとかく、あれが無い、これが無い。こうすれば良かった、ああすれば良かった。お金がなければ、お金があったなら。病気であれば、病気でなければ。事業が上手くいっていなければ、事業が上手くいっていれば。時間がなければ、時間があれば。相談する人がいなければ、相談する人がいれば・・・と、考えてしまいます。
そして、不幸を嘆き続けます。
失ったモノばかりに心を奪われてしまうのです。
しかし、得てきたものが必ずあるはずです。
私には、お金はないけど健康がある。私には才能はないけれど、努力することができる。私は美人ではないけれど、健康でいられる…というように、失ったものではなく、得たものを見つける努力も必要な気がします。
日々元気で無事に、まず生きていることが最大の獲得であることは間違いありません。人は考え方や思い方によって、人生観を変えていくことができます。
富貴子さんは、「わたしも淳子もとても幸せでした」と言い切きります。
つまり、幸福と思える心が幸福を生み、不幸と思う心が不幸を創りだしていくのです。

幸福は心の力。
幸せと思うこと、幸せと思えることが大切だと、富貴子さんはくり返し語っていました。「幸福に生きよう」と決断する勇気こそが、真に生きる力なのかもしれません。

『人間には誰もが幸福になる権利がある。人間には誰もが努力する権利がある』
富貴子さんは、淳子さんが遺したこの言葉を、娘と同じように病気で苦しむ人たちに差し上げながら、今を生きています。

アメリカの事業家で哲学者のロバート・ルイス・スティーブンは、千葉淳子さんの記録を読み、こんなコメントを残しました。

「決して絶望などしない。
いつか必ず取りもどす。
誰もが日暮れまで、いかに辛くても、その荷を背負うことができる。
誰もが一日の間、いかに辛くても、仕事をすることができる。
誰もが日が沈むまで楽しく、忍耐強く、愛情をもって粋に生きることができる。
そして、これこそ人生の真に意味することなのだ」

     …… 合掌 ……

©Social YES Research Institute / CouCou

つるた勝巳税理士事務所

デジタルの中で、アナログにどう生きるか

©252515.com .All Rights Reserved.

ページトップに戻る